施設名:医療法人財団青山会 
住所:〒238-0115 神奈川県三浦市初声町高円坊1040-2 
電話番号:046-888-4625

運営理念

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青山会 運営理念

  • 暖かい人と人との触れ合いこそ医療・看護・介護の根源であり、良質なサービスの提供こそ青山会の存立基盤である
  • インフォームドコンセントの徹底により、明快で、最新の医療を提供しよう
  • 病状とライフ・スパン、社会的背景にかなったチーム医療を展開し、QOLの向上に最善を尽くそう
  • 地域や社会に開かれた医療・看護・介護を展開し、病を持った人と共に歩み、早期の社会復帰へ向けての役割を果たそう
  • 全ての職員による患者さん中心のサービス提供を不断に追求しよう
  • 療養環境を整備しアメニティの改善に努めよう

理事長 北川 年一

 医療法人財団青山会は昭和52年に設立されました。福井記念病院の前身、初声荘病院は昭和38年に設立され、創設者の福井東一先生が目指した開放的医療は時代の先駆的役割を担うものでした。当時、先進諸国ではすでに施設から地域へと脱施設化をはかり病床を減らしていたものの、日本では依然根深い差別・偏見により精神障害者を閉鎖病棟に収容することが当然のこととして行われていました。そんな日本に対し、WHO(世界保健機構)は英国ケンブリッジの精神医療改革で実績をあげたDHクラーク博士を派遣しました。クラーク博士は昭和42年11月から30以上の精神科病院や施設、大学病院などを視察し、日本政府に勧告書を提出しました。この勧告書でクラーク博士は日本の精神科病院が統合失調症を中心とした若い慢性患者であふれ、入院が長期化する傾向にあることを指摘し、「なんらかの対策がすぐに行われなければ大変なことになるだろう」と警告しました。クラーク勧告は、日本の精神衛生のあり方を批判する一方、5つの精神科病院と1つの施設、1つの福祉センターで優れた試みが行われていると称賛し、その中に初声荘病院が名を連ねていました。クラーク勧告で注目された初声荘病院の「演劇療法および患者自治の計画」に触発されて、スタッフとして情熱を持った若い人々が病院に集まってきました。

 昭和63年に故高屋淳彦先生が初声荘病院に赴任された時、患者さんの自治的活動も活発で、患者さんたちが自主的に運営する喫茶店が病院の中にあったと述懐されています。先生はほどなく院長に就任されました。当時の初声荘病院は、病棟の老朽化などもあり混沌とした状況にあったといいます。このような中で、平成元年に初声荘病院から「福井記念病院」へと名称を変更しました。文字通り再建への大きなきっかけとなったのが平成4年9月の新病棟(現在の北病棟)建設でした。木造の薄暗い病棟から、明るい鉄筋の病棟への移転です。県下初の認知症疾患治療病棟と個室中心の開放病棟を新設したのは特筆すべきことでした。当時はまだ全国を見渡しても精神科病院で個室中心の病棟はほとんどなく、入院を希望する患者さんが横浜や東京からも次々と来られました。その後、青山会はみくるべ病院・介護老人保健施設なのはな苑の併設、福井記念病院南棟増築など、関連施設を拡充してきました。

 今日、精神科医療を取り巻く状況は大きく変化しています。精神障害者に対する差別・偏見は今なお存在するものの、地域で普通に生きてゆくことが、当時とは比べものにならない程進んできました。当法人財団においても、サテライトである青山会関内クリニックや青山会津久井浜クリニックにおいて、地域で生活する障害者を支え、また既存施設にあっては、訪問看護・相談支援・訪問診療・退院支援・退院前訪問に力を入れ、着々と地域へと活動の範囲を広げてきました。青山会グループの社会福祉法人クオレでは、横須賀市においてグループホームを運営し、障害者の住まいを提供するとともに、就労支援など、地域住民を巻き込んだネットワークの構築を進めてきました。

 今後、患者さんを地域の中で支えるには、青山会が今まで培ってきた様々なアウトリーチ機能の更なる充実に加え、福井記念病院の救急受け入れ体制を堅持していくことが求められます。これからも質の高い、安全な医療を提供できるよう、職員が一体となり努めてまいります。皆様の御理解と御協力をよろしくお願い申し上げます。